ブックタイトル日出学園中学校・高等学校(総合案内)【学校案内】

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概要

日出学園中学校・高等学校(総合案内)【学校案内】

Profile/日出学園幼稚園~高等学校まで15年間通う。その後、東京音楽大学入学。在学中に第73回日本音楽コンクール第1位、併せて聴衆賞。NHK交響楽団アカデミー生を経て、現在、東京交響楽団首席オーボエ奏者。国立音楽大学、東京音楽大学非常勤講師。2018年にソロCD「こうもり変装曲」を発売。 幼稚園から高等学校まで、日出学園で過ごした思い出は語り尽くせないほどです。特に音楽の先生方にはとても恵まれました。小学校の田中悦子先生、井上雄二先生、中高で、オーボエとの出会いのきっかけになった小池晃先生、高校の浅野美香先生にはたいへんお世話になりました。小学生の音楽の井上雄二先生は、リコーダーのテストを日々実行してくださいました。合格する度に与えられる課題をクリアするために、私は毎日必死に練習していました。そのおかげか、学芸会でのリコーダーの単独ソロを任されました。それは私にとってたいへんな誇りで、大切な思い出です。 学園のどの先生方も、成長を常に温かく見守ってくださっていました。そして自分の得意なことを尊重していただけたことは、自分を確立するためにはたいへん有難い環境だったと思います。優れた先生方に出会い、ご指導いただけたことが何よりも良かったことと、心から感謝しています。 それから、小学生から高等学校まで12年間、給食ではなくお弁当だったこと。小学生から電車通学だったことはとても珍しく、今となっては私の自慢です。幼稚園から高等学校までの15年間、日出学園ですごした卒業生に母校・日出学園の想いを語っていただきました。さまざまな分野で活躍する日出学園出身のOB・OG。学園生活を送る中で、将来の夢を思い描き、目標設定し、夢に向かって活躍している卒業生からのメッセージです。卒業生メッセージH I N O D EMESSAGE 卒業生~ 15年の学園生活 memory ~幼稚園入園2018年度 高等学校卒業東京大学院在学山口 泰範 さん中学校入学1988年度 高等学校卒業佐藤 直紀 さんProfile/日出学園中学校・高等学校に在学。中学生の時、師事していたピアノ教師の影響で作曲に関心をもつ。高校から和声や対位法などの音楽理論を学び始め、師事していた先生からの助言もあり、1989年東京音楽大学作曲科の映画・放送音楽コースに進学。1993年同大学を卒業後はさまざまな音楽分野で幅広く活躍。主に映画音楽、ドラマ、アニメーション、ミュージカルなどの主題歌・挿入歌の作曲や編曲を手がける。2006年、第29回日本アカデミー賞・最優秀音楽賞を『ALWAYS 三丁目の夕日』で受賞。代表作は、海猿シリーズ、コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-シリーズ、龍馬伝、マスカレード・ホテル他、2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』のテーマ曲をはじめ、テレビドラマ、映画などのテーマ曲を多数作曲。 私が日出学園幼稚園に入園した当時は、今の幼稚園の場所に移転する前の、菅野駅に隣接していた頃の幼稚園でした。小学校も入学した当時は以前の古い校舎で、途中から今の新校舎で勉強するようになりました。小学校時代は、ゲームばかりしていて、成績は決して褒められるようなものではありませんでした。小学校の高学年になり、中学進学を考えた時に、自分は人見知りが激しい方だったので、外部の中学校に進んだらこれまでずっと仲の良かった日出学園と同じような友だちはできないだろうなと思い、選択肢は内部進学だけでした。 しかし、内部進学試験の最初の頃の成績は、進学できるかどうかの当落線上にある成績で、「これはまずい!」と思い、個別指導の塾に通うようになり、それで成績も上向いて日出学園中学校に進むことができました。中学校に入り、最初の定期テストで思いもしなかったいい成績がとれて、一気にスイッチが入り、自分から進んで勉強するようになりました。勉強の仕方は、「先取り学習」を心がけました。普段の授業より先の単元をどんどん勉強していって予習を極めるというやり方です。 中学校・高等学校の6年間、日出学園に通いました。僕たち生徒一人ひとりの個性を認めてくださり、良いところをしっかり伸ばしてくださる寛容な学園だったように思います。お世辞にも優秀とは言えない、むしろいろいろな意味で出来の良くなかった僕が、それでも自分を信じて将来への夢を諦めず前へ進むことができたのは、間違いなくこの日出学園、当時の先生方の教育とご指導のおかげです。 卒業してからおよそ30年が経とうとしていますが、同級生との交流は今でも続いています。(おそらく)生涯にわたり信頼しあえる親友、仲間に出会えたことは、僕の人生において間違いなく最大の宝物です。音楽への夢を諦めず前に進むことができたのは先生方のご指導の賜物自分の得意なことを尊重していただけたことに感謝先生に褒められたひと言が、アナウンサーを目指すきっかけにProfile/日出学園幼稚園から小学校まで在学。成蹊大学卒業後、2005年にエフエム東京に入社、報道記者を経てフリーのスポーツアナウンサーに。「ショウアップナイター」「日曜競馬ニッポン」「ソチオリンピック」(ニッポン放送)ほか、「千葉ロッテマリーンズ戦」(日テレNEWS24)、「Bリーグ中継」(スカパー!)などスポーツ中継の実況に携わる。 今につながる、たくさんの「出会い」がありました。同じ学び舎で6年をすごした同級生。卒業から25年経っても、お互いの近況報告や思い出話に花を咲かせています。いつも休み時間にドッジボールで遊んでくれた先輩たち。緊張した林間学校やスキー教室でも優しく、楽しく接していただきました。そして温かく見守っていただいた多くの先生方。音楽の授業の歌のテスト「気球に乗ってどこまでも」は忘れられません。先生に『大きな声がいいわね~』と褒められたひと言をきっかけに、人前で喋ることが好きになりました。好きすぎて、喋りすぎたこともありましたが…その後、6年生で放送委員に。当時の「さよなら放送」アナウンスは、今の私の原点です。 また、中学に入ってからは数学が好きになり、数学検定や英語検定などの資格を取ることも自分の中のモチベーションになり、その検定試験にもチャレンジしました。そして結果を出せたことが励みになり、大学受験では一番難関と言われる東京大学を目指してみようと、目標設定が明確になり、高校時代はその目標に向かって一生懸命勉強し、それを達成することができました。 勉強ばかりではなく、小さい頃からピアノを習っていて、小学校の中学年あたりからはクラシック音楽が好きになり、音楽の井上雄二先生の授業は大好きでした。また、中学に入ってバイオリンが好きになり、中学時代は週3日のペースでバイオリンを習っていました。今は大学でインカレサークルのオーケストラで、バイオリンのパートとしてサークル活動を楽しんでいます。 15年の日出学園生活で、最初は勉強が苦手だった私ですが、前向きに取り組んでみると結果がついてきて勉強が楽しくなり、どんどん学習意欲が増したように思います。そんな「やる気スイッチ」は、きっと誰にでもあるはず。そう私は確信します。内部進学した中学校で「やる気スイッチ」O N !幼稚園入園1992年度 小学校卒業清水 久嗣 さん幼稚園入園1999年度 高等学校卒業荒 絵理子 さん詳しくはこちら!QR13 | HINODE GAKUEN HINODE GAKUEN | 14