ブックタイトル昌平中学校【パンフレット】

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概要

昌平中学校【パンフレット】

新潟大学医学部天内 大翔さん中高一貫10期生東京大学文科三類井出 匠さん中高一貫10期生東京大学理科二類斎藤 桂吾さん中高一貫10期生筑波大学生命環境学部生物学類半澤 伶奈さん中高一貫10期生京都大学工学部物理工学科天野 恵実さん中高一貫10期生東北大学工学部電気情報物理学科春山 麗さん中高一貫10期生早稲田大学文学部文学科加賀谷 ななみさん中高一貫10期生東京大学理科二類東田 直樹さん中高一貫10期生名古屋大学農学部応用生命科学科小坪 香凛さん中高一貫10期生東京科学大学環境社会学部齊藤 充孝さん中高一貫10期生兄たちも通っていた昌平へ。英語教育に定評ある昌平へ。井出 教育熱が高い両親が勧めてくれたのが昌平でした。僕は高校受験がない方が大学受験に有利なのではと考えて、納得して受験しました。天内 “親の教育熱”という点では僕も一緒です。ちょうど姉が昌平高校に入るタイミングで、一緒に学校見学に行って設備の充実ぶりにも魅力を感じました。天野 私の場合は自転車通学が可能だったことと、中学入学から高校卒業までの成績の上昇率が、他校と比較して高かったことが理由でした。春山 4つ違いの兄が昌平の一貫6期生でした。兄から海外研修の話を聞くのも楽しく、時には自宅で姉妹校の留学生がホームステイするなど、わが家と「昌平」は密接な関係にありました。半澤 私にも3つ違いの兄がいて中高一貫生でした。兄と一緒に『昌平祭』に行き、生徒が本当に生き生きとしている姿に憧れました。小坪 私の兄も昌平高校に通っていてサッカー部でした。兄が通っている学校ということで親しみを感じていましたし、英検にも積極的に挑戦したかったので昌平一択でした。齊藤(充) 英語といえば、僕が昌平に決めた大きな理由も英語教育でした。小学生の時に英語塾に通っていて、「英語=昌平」というイメージはずっとありました。東田 僕もキーワードは英語でした。小6の夏までカナダにいたので、英語力を落とさない指導環境がある昌平を選びました。帰国子女入試が英語だけという点も有利でした。斎藤(桂) 中学受験で昌平を選択したのは、IB教育が自分に向いていると思ったからです。特にIBが求める学習者像に着目しました。加賀谷 私は沖縄の宮古島から昌平に来ました。昌平は母の実家に近く、やはり英語教育に力を入れていることを聞いたことが中学受験の動機でした。島には電車がなかったので、校外学習などで電車に乗る機会がとても新鮮でした(笑)。環境がやる気になる原動力。仲良しだからこそ負けられない。斎藤(桂) 入学直後に春季課題考査というテストがあり、成績がまったく振るいませんでした。普通に衝撃を受けて、勉強しないとまずいかもしれないと、そこからやる気に火が付いた感じでした。半澤 春季課題考査、ありましたね。誰が一番勉強できて、上位層には誰々がいて…、という上位者の順位が張り出されるので、「自分もそこに入りたい」と、そんなモチベーションになりました。定期テストの結果も常にオープンなので、気を抜いてはいられないぞと、そんなふうに思いながら頑張っていました。井出 クラスに超優秀な人がいて、入学したばかりなのに“体系数学を終わらせた”というのです。その一言に危機を感じて、負けず嫌いの自分もそこから真剣に勉強を始めました。齊藤(充) 先取りということでいうと、自分の場合、高校数学がすべて終わったのが中3の初めでした。個人差は当然ありますけど、クラスの雰囲気がそうさせたということは絶対にあったと思います。東田 一貫生は6年間一緒にいることもあり、いい意味で本当のライバル関係であり、逆になんでも言い合える関係でもあるので、お互いを尊敬し合って頑張れるのではないでしょうか。共通テストの模試が終わるとすぐ、みんなで自己採点していたのが仲のいい証明です。加賀谷 確かに(笑)。一貫生の仲は総じていいものがあると、私も思います。IBの授業ではグループワークが多いこともあり、入学してすぐにたくさんの友人ができたことは、遠くから来た私にとってとてもありがたかったです。天野 誰かが模試でいい成績を収めたり、難しい資格に合格したりすると、クラス全体で称えていました。お互いを尊重し合うクラスで居心地も良かったです。天内 7限、8限の授業が普通にあるので、そこで徹底して補講をやってもらったのが、自分にとっては追い風になりました。「中学時代から補講によって苦手をつくらない」という先生方の指導に感謝しています。春山 小学生の頃は、勉強で切磋琢磨できる友だちはあまりいませんでしたが、昌平に入ると“意識高い子”がたくさんいるので、勉強にやる気が出てきました。担任の先生による“成績の見える化”もあり、“今度のテストでどのくらいの点数を取れば上位に居続けられるか”とか、積極的に闘争心があおられて、頑張れたかなと思っています。小坪 先生方の温かみのある“熱血指導”は、私も強く感じていました。なにしろ中1の林間学校でいきなり、英語の小テストがあるのですから(笑)。そのおかげもあり、高3で新しい単語を覚える必要がなくなっていました。一人ひとりをよく知る先生方。だからこそ最後まで諦めない。半澤 私は中1から6年間、生物・化学部で活動を続けました。地道な研究の日々でしたが、先生方がそんな私をずっと応援してくれました。高校生でポスター賞を受賞した時は嬉しかったですね。将来は理科教育に携わりたいと考えるに至ったきっかけもそこにありました。加賀谷 私の場合はダンス部の活動が原点になりました。高2で『トビタテ!留学JAPAN』という返済不要の奨学制度の選考に受かり、アメリカにダンス留学(ロサンゼルス)することもできました。大学を選ぶ時も、大好きなダンスと得意な英語を生かせる進路選択をしました。小坪 共通テストの手ごたえがあまりよくなかったので、すぐに頭を切り替え、今後の“伸び”を信じて翌朝6:30に学校に行きました。すると自習室にはもっと早くから来て勉強をしている受験生がいたのです。「これが昌平なんだ」と思って刺激を受け、「ここで負けたら絶対に悔やむ」と思ってリベンジを果たしました。春山 私はもともと文系志望でしたが、物理の先生からある日、「きみなら物理の世界でやっていける」といわれ、そこから理系に舵を切りました。コミュニティ・プロジェクトで歯科医療に関わり、医療用の工学をめざす学部・学科を考える大きなきっかけになりました。天内 医学の道に進もうと思ったのは高1の時でした。数学の先生が授業中、医師の話をしょっちゅうしていたので、自然と感化されたと思います(笑)。合格後、その第一報を数学の先生に報告したところ、「僕の方がドキドキしていたよ」といわれました(笑)。東田 高校からの文理選択で迷いましたが、「プラス思考で考えよう」と、背中を押してくれたのが担任でした。消去法による進路選択でなく、自分のやりたいことのために東大現役合格を勝ち取るという考え方です。その力強い励ましが、東大現役合格に結びついたといっても過言ではありません。齊藤(充) 数学が得意でずっと理系一本でした。コミュニティ・プロジェクトで、地球温暖化を深刻な地球の問題と捉えたところから、環境社会理工学科への挑戦が始まりました。総合型選抜は不合格でしたが、担任から「一般選抜もあるから大丈夫」と、最後まで励ましてもらったことに感謝しています。井出 もともと読書が好きで、文学の道に進むことが希望でした。担任も無類の本好きで、太宰治や村上春樹など、著作を読んでは読書感想文を書いて出し、その返信に書いてあるコメントを読んでは、読書談義できる日々を楽しんでいました。社会歴史研究部で読み深めた地域の古文書研究も楽しかったです。「もう東大しかないでしょ」と複数の先生方に声を掛けられ、その想いに報いたいと思いました。天野 高3のときの学科選びで、材料科学系か物理学的な内容かで迷っていました。そんな私の進路として環境が整っていたのが京都大学の物理工学科でした。先生方が過去問を印刷・添削してサポートしてくれたことに感謝しています。斎藤(桂) 入学時から航空と宇宙、その2つが興味範囲でした。高2になると、量子力学の世界にも興味が広がり、どれか一つに決めることができなくなっていました。大学受験時から学部・学科を決めるのではなく、前期2年が教養学部で幅広く学べる東大がいいと、必然的に絞り込んだのが高2の夏でした。自分が本当に進むべき道に誘ってくれた、昌平の先生方に感謝しています。CONVERSATION 卒業生を迎えて(令和6年卒)17 SHOHEI Junior High School School Guide 2026 18